MM川事件資料wiki公開資料を持ち寄る共同目録

M川事件

M川事件は、1949年8月にT北本線M川駅付近で起きた列車脱線事件、および同事件をめぐる刑事裁判の通称である。起訴された20名は、1963年までに全員の無罪が確定した。

概要

1949年8月16日深夜、貨物列車が脱線転覆し、乗務員3名が死亡した。県警は同年8月下旬から9月にかけ、K鉄労働組合員ら20名を逮捕した。1950年の第一審では20名全員が有罪とされ、5名に死刑判決が言い渡された。[1]

被告らは起訴事実を否認し、自白の任意性と証拠の取扱いを争った。1958年には、被告1名の所在を示す事務ノートが押収後も証拠提出されていなかったと報じられた。[2]

裁判

会社側の庶務係が労使交渉の出席者と発言要旨を記入した大学ノートには、被告1名が、検察側のいう「謀議」の時間帯に交渉の席で発言したとの記録があった。記入者の姓を伏せた公開資料では「██メモ」と表記される。

同メモは事件直後に押収されたが、第一審および控訴審では証拠提出されなかった。1958年の新聞報道後、弁護側が提出を申し立てた。最高裁は1959年に有罪判決を破棄して審理を差し戻し、1961年の差戻し審で20名全員が無罪となった。1963年9月12日、検察側上告が退けられ、無罪が確定した。[2]

芙島市立図書館 郷土資料室「██メモ」関係記録に押収後の取扱記録がある。

支援運動

芙島市では被告の家族や市民が守る会を組織し、署名、差入れ、会報発行を行った。1954年の第四次署名は1,300名分とされ、法務省の受付印を持つ添付ビラが残る。作家と法律家による判決批判、各地での報告会も行われた。[3]

関連文書

年資料概要
1952『市民の声』第七号守る会会報。投書欄を収録。
1954『署名のお願い』一千三百名の署名を呼びかけたビラ。
1954『声は壁を透して』被告、家族、支援者の手紙約三百通を収録。受入簿に未収録資料1通の記載あり。

資料画像と書誌事項は、芙島市立図書館 郷土資料室の公開目録を参照した。

更新履歴

日時編集内容
2026年9月2日郷土資料室デジタル目録への参照を更新
2026年6月12日裁判年表と関連文書を整理

脚注

  1. 芙島市立図書館 郷土資料室「M川事件関係資料 概要・新聞縮刷」。
  2. 同「M川事件裁判年表」「██メモ関係記録」。
  3. M川事件被告を守る会発行物(公開複製)。

最終更新:2026年9月2日 ・ このページを編集